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2011年1月23日日曜日

僕の航海記(98年7月 短絡的決意)

前回の記事:僕の航海記(序文)

1998年7月。

つとめていた会社を辞め、会社が用意してくれていた大宮のマンションを引き払って、近くのアパートに引っ越しました。辞めた会社ではパチンコ店の釘師兼店長をしていましたが、28歳無学(高校1年中退)の自分でしたがかなりの高給取りでした。パチコン業界はメーカーが限られていることもあり非常に狭い業界であり、当時の僕のように若くて実績のある釘のたたける店長経験者は、その気になればすぐ紹介で別の会社に勤められるので、あまり蓄えはありませんでしたが数ヶ月のんびりしようとプラプラしていました。

失業保険も前職の7割程度でると思っていた(実際には上限があったので予定の5分の1ももらえませんでした)ので、97年に覚えたばかりのインターネットとパソコンを満喫しようと、当時コンシューマー向けには最先端の56Kbpsの外付けモデムとデルのタワー型パソコンを買いました。
パソコン素人のくせに、これも豪勢にCPUはPentiumII 400Mhz、メモリは192Mb、IEEE1394ボードをつけて、SCSIボードはAdaptec AHA2940、グラフィックカードも乗せ換えてDiamond Fire GL1000、サウンドボードもオンボードを無効化してサウンドブラスターを乗せ、MOドライブ、ZIPドライブ、DVDRAMドライブ、さらにMIDI音源もYAMAHA XG-MU1000を外付けした、手に余るものでした。

こんな豪勢なPCを持ちながら、していたことはネットサーフィンだけだったのですが、IRCやICQ仲間の間でホームページを作ることがはやり、GeoCitiesやTripodに作ってる友達をまねて、プロバイダ(日本高速通信)が無料で2Mbまで利用させてくれていた領域に、Microsoft FrontPageでがんばって作ったものをFTPソフトでアップしてました。コンテンツと呼べるようなものはなく、自己紹介が中心のサイトでした。※当時はホームページをHPって言うなとか、ホームページはトップページのことをさすだとか、こだわっている人が多かったなぁ。

なにしろすることがなかったので、いろんなホームページを見ているとプロバイダーが貸してくれる画一的な掲示板じゃないものや、画像がかわいいアクセスカウンター、そしてこの頃から徐々にはやりだしたFLASHやSHOCK WAVEコンテンツをみて、自分も作りたいと思い始めました。
思い立ったが吉日で、すぐに書店で掲示板やカウンターのサンプルのついたムックと、FLASH 3を買ってきました。※この頃はSWFはSmall Web Formatと言っていたが、いつの間にかShock Wave Flashの略とされてたなぁ。※※98年の後半は、個人のCGI制作者(KentWebさんやWeb新撰組さんなど)やアイコン制作者(牛飼いのアイコンさん、ゆぴさぽさんなど)が書籍にも登場するようになりました。

日本高速通信のホームページ領域はCGIが設置できなかったので、名前は失念しましたが埼玉県上尾のローカルプロバイダーさんと契約し、CGIが設置できるホームページ領域を手に入れました。始めはパーミションを755にするとか、telnetとかわからないことだらけでしたが、兎に角くさるほど本を買って一つ一つ噛み砕き、載っているサンプルは一つ残らず写経して書籍通り動くことを確認する、こんなことを1週間位1日2時間くらいしか寝ずにやっていると、簡単な掲示板やアクセスカウンターは自分で作れるようになりました。※CGIは仕組みの名称なので本来をCGI設置っておかしいんだが、このころはperlで書かれたCGIプログラムのことをCGIだと思ってた。(T T)
自分好みの掲示板やアクセスカウンター、リンク集が作れるようになると今度はマルチメディア系に目が向き始め、ミディシーケンサのSinger Song WriterとYAMAHA XG WORKS、PhotoShop4.0、Adobe Premiere、Macromedia Firewoksとそれにまつわる本を買い漁り、2週間くらいむさぼりつくしました。
おかげで8月上旬には、自作のイラスト、自作(打ち込みのみ)のMIDI、自作のFLASHムービ−、自分で編集した動画、掲示板、アンケート、Web Vote、リンク集、日記、カウンターとずいぶん華やかになりました。※今見ると顔から火がでるほど恥ずかしい作品だが。。

毎日20時間以上40日近くこんなことをしているとさすがにいろいろなことが身に付くもので、このころになると自作PCや、よりこったCGIプログラムに興味を持つようになりました。また、派手になったホームページをIRC仲間がすごいってほめてくれた(社交辞令って思えなかったんです。(/ ;))こともあって、とにかくのめり込みまくっていました。
そんなとき、当時のマイクロソフト日本法人サイトに掲載されていた、今後のインターネットに関するコラムを読みました。97年に書かれたこのコラムには、この仮想空間(当時はよくこんな言い方をされてました)は、いっそう技術的にも、サービス的にも進化を遂げ、97年現在で約700万人のインターネット人口は2000年には1500万人なると書かれていました。※実際には98年中に1500万人は突破し、2000年には5000万人弱まで一気に普及している。

このコラムが短絡的な起業の引き金を引きました。
勝算も根拠も何もありません。ただ、"ホームページは仮想空間の玄関だ"→"自分がこうしてホームページを持つように、きっと将来は1家に1HPな時代が来る"→"どんな家でも表札を段ボールにマジックで書いたようなものにせずプロに作ってもらっている"→"HPのプロがきっとこの先大勢でてくるに違いない"→"CGIだってまだ若い技術だ"→"今始めれば先行している人たちに大きな遅れをとってない。むしろ先頭集団だ!"と、こんなことを考えていました。

これだけでホームページ制作会社を立ち上げようと決意しました。
今考えても無謀な、若気の至りな決意でした。たった1ヶ月の浅い経験で無謀にも起業を決意した僕ですが、予想通りつらい苦しい1年半が控えています。

今回はここまで。

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